カイロプラクティックという専門職を選んだ経緯

dream

タイトルの意味はおいおい、プロフィールの蘭にも少し書いてますが、僕がカイロを学ぼうと決意した経緯なんかについて。

小学生の頃の夢は建築家

根本的なものとして、会社員や公務員のように雇用されて給料をもらい、生活するというのは自分には合ってないんだろうなーという考えが当時からあり、それよりかは何か自分でしたことの対価としてお金をもらって生活したいと思っていました。

父が建築関係の仕事をしていて(当時は工業高校の建築科の教師だったので独立していた訳ではないですが)、僕自身、家の絵を書いたりするのが好きだったこともあり漠然と将来は建築家になりたいと思ってました(今では絵心は皆無です)。

進路変更のきっかけ

小学4年生頃から建築家を目指し、中学に入ってからもそれは変わらなかったんですが、中学3年の冬休み頃、家族旅行中の車の中で母が、「カイロプラクターになったら?」と何かの拍子に言いました(3人兄弟の中、何故かぼくを指名)。

カイロプラクティック自体は自分が幼稚園に通っていた頃から母がお世話になっていた先生がいたので知っていました。一時期布団から起き上がることもできないほど、首を痛めていた母ですが、カイロプラクティックのケアを受け始めて大分良くなっていました。自身も中学1年生で腰痛になった時にその先生に姿勢に関する指導を受け、直したところ腰痛が解消された経験もあります。

しかし、唐突にそんな話をされてもぜんぜんピンと来なかったですし、正直カイロプラクティック自体その頃はイマイチどういうものかわかっておらず、その時は全く乗り気ではありませんでした。

カイロプラクターになることを決意

それから少しした頃、インターネットが一般にも普及し、ネットサーフィンにはまり始めた時だったんですが、上記のことがあってカイロプラクティックを調べてみたことがありました。

当時は今程、ウェブサイトのコンテンツもまだそんなに多くはなかったものの、パーマー大学を卒業したカイロプラクターのウェブサイトに行き当たりました。

そこに書かれていたものは、自分の中で思っていたカイロプラクティックとは異なるものでした。

詳細な内容は割愛しますが、その時すごくワクワクしたのを覚えています。

  • 現代医療とは違うアプローチから、現代医療では救われない人が救われる
  • 海外では法整備がなされており、教育システムが確立している
  • 自分の腕一つで食べていける

まぁ主にこの3点にノックアウトされました。

高校に上がる前の春休み中リサーチを続け、悩みに悩みましたが、高校に上がる頃にはある程度カイロプラクターになることを決めていました。

余談

幼稚園の卒園アルバムに書いた将来の夢は「忍者」でした。当時放送されていた、戦隊もの「カクレンジャー」の影響だったように思います。

「忍者」→「建築家」→「カイロプラクター」

全然一貫性がないですが、人生なんてそんなもんでしょう。

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