眠くなりそうな題名で申し訳ないですが、そのまんまの内容なので興味がある方はお進みください。
カイロプラクティックが創始されたのは1895年、今から120年前。
結構昔からあるんです。
今回はカイロプラクティック創始、そしてどのように変遷してきたかというお話です。
難聴が回復した!?
1895年のある日(諸説あります)、アメリカ、アイオワ州ダベンポートにおいて当時Magnetic healer(磁気療法士)だったダニエル・デイビッド・パーマー(以後D.D.パーマー)は用務員としてオフィスで働いていたハーヴェイ・リラードから、17年前に変な姿勢で前屈みになった時に背骨の関節が動く音が聞こえて以来難聴になったというエピソードを聞き、彼の背中を見てみると肩甲骨の間の辺りが隆起していることに気付きました。
背骨のズレによって難聴になったのではないかと考えたパーマーは、ハーヴェイにその事を伝え、その背骨の隆起している辺りを手技により矯正してみました。
するとどうしたことでしょう!数日後、ハーヴェイから聴力が快復したとの報告がありました。
このストーリーを聞いて、「そんな話、あり得んわ〜」と思う人いると思います。自分も初めて聞いた時はそうでした。
でもまだ学生だったころ、自身の直接の患者さんではないですが、2件ほどそういったケースに遭遇したことがあって驚いたものでした。背骨と聴力の関係性のメカニズムにはいくつか説がありますが、それもおいおい。
この事により「背骨の施術をすれば聴力が回復する」と仮説を立てたパーマーはその後何人もの難聴患者を看たそうです。
が、そう上手く快復に繋がる事はありませんでした。
しかし、聴力の回復には繋がらなかったものの、その他の身体の不調が無くなったりするケースが多かったことから、パーマーはまた新たに1つの仮説を打ち立てました。
背骨と神経の関係性
「身体の全ての器官、組織、細胞は神経を通って脳からの信号でコントロールされている。ということは背骨の不整列(ズレ)が神経を圧迫している(その状態の事をカイロプラクティックの用語でサブラクセーションと呼びます)ことによりその神経が関わっている身体の機能が不調をきたし、それを背骨の施術(こちらもカイロプラクティック用語でアジャストメント)により取り除くことで身体の機能が向上するのではないか。」と。
カイロプラクティックは背骨と神経の関係性に重きを置いています。
一方、パーマーがカイロプラクティックを創始した10年前にアンドリュー・スティル医師により創始された手技オステオパシーは血液やリンパの流れに重きを置きました。
しかし、手技という共通点から医師資格を持たず医療類似行為をしていると見なされ、カイロプラクティックはオステオパシーの団体や当時のアメリカ医師評議会から迫害を受け、D.D.パーマー含め多くのカイロプラクターが投獄されました(その中には日本人初のカイロプラクター森久保繁太郎氏も含まれます)。
しかしカイロプラクター達は数々の裁判や弾圧を乗り越え、長年の努力の末、カイロプラクティックと医療の違いを示すことによりアイデンティティを確立しました。
【医者が病気を”diagnose”( 診断)し、”treat”( 治療)することに対し、カイロプラクターは”analyze”(分析)し、サブラクセーション(背骨の機能不全)を取り除くことに主眼を置く。】
1913年のカンザス州を筆頭に1974年ルイジアナ州までアメリカ全50州でのライセンスの制定にいたりました。そして現在、日本では法制化はされていないですが、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、EU諸国などの一部の国なども含め、およそ40ヵ国において脊椎ヘルスケアの専門職として法制化されています。
今後日本での法制化はありえるのか、まだまだ複雑なカイロプラクティックの現状についてはまた別の機会に書こうと思います。
以上、カイロプラクティックが歴史についてでした。